時代の風




○技術家の地平(2) 〜 技術に哲学はあるか 〜

1.哲学者の技術論
いきなり三木清とハイデガーを登場させよう。
いうまでもなく、三木清は日本を、ハイデガーはドイツを代表する哲学者である。

彼ら哲学者が「技術」について論じている、と聞いただけで驚く技術者が多いのではないだろうか。
ところが、彼らにはともに堂々たる技術論が存在するのである。

三木清(1897−1945)は昭和前期を代表する哲学者であり、哲学に現実性を与えようとした人でもある。
現実の諸問題を分析し、その哲学的根拠を探求し、現実に進行している問題について積極的に発言し、発言を通じて現実の改革に関与した。

人間存在は宇宙という極大と原子という極小のあいだの「中間者」であり、
人間はまさに「偶然」に生まれ死んでいく存在である

(三木清著「パスカルにおける人間の研究:岩波書店刊1926年)
と喝破した彼の人間像は、必然的に二十世紀の自然科学の動向に呼応していった。

三木清は、1932年に著した「偶然と必然」の中で、ハイゼンベルグの量子力学やシュレジンガーの波動力学をふまえ、
二十世紀の科学が因果律ではなく蓋然的統計学的な自然法則観に進んだことを確認している。
(こぶし文庫刊「三木清エッセンス」:2000年2月、内田弘の解説より)
これほどの三木が技術について述べていたとしても不思議はないだろう。

実際、1942年には「技術哲学」(岩波講座「哲学」所載:岩波書店1942年)を著している。
それによると、三木が技術を“行為の形”として規定していたこと、及びその源泉が“構想力”に求められていたことがはっきりする。
つまり、「形の形成作用」というところに着目し、技術そのものに創造的な意味を認めようとしたのが三木の技術哲学であった。
この哲学は、科学と結び付けられ科学の応用に過ぎない地位に貶められていた技術を復権させた点で、三木の功績である。
だが、彼の技術論は理論的なとらえかたがあまりにも折衷的かつ形式的であったため、その後あまり発展しなかった。
ただし、“構想力”のほうは、個性者が相互に創造的構想力を発揮し共生の場を形成する世界を探求する、というふうにその後発展を得、
1946年6月には「構想力の論理II」(岩波書店)を公表するに至っている。

一方、ハイデガー(Martin Heidegger, 1889−1976)とは、あまりにも有名な現代哲学の巨人であり、
1927年に発表された「存在と時間」が場所・位置・空間あるいはそれらの時間的意味合いについて与えた影響ははかりしれない。

ハイデガーの技術論に立ち入る前に、橋を例に取った彼の「現存在(Dasein)」に関する考察を是非紹介しておきたい。
ハイデガーは存在を表象する際、好んで橋を事例に取った。
社会基盤としての橋梁あるいは構造物・施設の在りかたを問う上で、大いに触発される思いがするだろう。

橋がないときには、場所もなかった。 もちろん橋がそこに建つ前にも、流れに沿って、さまざまな物が占めることのできる多くの箇所は存在していた。
そしてついにそのうちのひとつの箇所が<場所>となるが、それは橋のおかげである。
だからある場所に橋が建てられるのではなく、橋から出発して、ひとつの場所が生まれるのである。

(オギュスタン・ベルグ著「風土学序説」:筑魔書房2002年、Heidegger, op.cit.182―183ページ)

さらに、ハイデガーは大地、天、神、死すべきもので構成される四域(Geviert)という彼の考え方についても、
橋を例に出して次のように語っている。

ドイツ語の古い言葉では、集まることをthingといった。
さきほど四域の集まりとしてその特徴を考察した橋は、ひとつのもの(ein Ding)である。
実のところ,橋はまずなによりも、たんなる橋にすぎないと考えがちだ。
その後で、さまざまな場合に応じて、橋は多くのものを意味するようになる。
そして多くのものを表現する橋が、これまで述べてきたすべての意味において、ひとつの象徴になるのだと。
ところが橋が真の橋であるとき、橋はまず単純な橋であり、その後で象徴になるというのものではない。
同じように、橋は厳密な意味でみずからに属さないものを表現するという意味で、最初から象徴であることはない。
厳密に考えると、橋は表現として現れることはない。橋は物であり、たんにそれだけだ。しかし「たんに」だろうか。
橋は物であることにおいて、四域を集めるのである。
(前掲書)

このようなハイデガーに「技術の問い」という著述がある。
そしてハイデガーはその中で技術の本質を取り出した議論、すなわち“テクニーク論”を展開している。
ギリシア語の“テクネー”を駆使しながら、ハイデガーはこういう。

「テクネーには二つの意味があり、その一つは<出で来たらす>こと、つまり創ること、ポイエーシスである。
もう一つは、覆いを取り去ること(アレテイア)、つまり<露わにあばく>ことである。
この二つの意味はいずれも、可能なものを現実化することにあるが、とくに重要なのは<露わにあばく>ことのほうである。
近代技術が行う挑発、自然に向かってそのエネルギーの開発を促すような挑発を介して、テクネーはやはり<露わにあばく>働きをするのであり、
以前には存在しなかったものを露わな、近づきうるものにするのである。」

三木清とハイデガーに共通していることは、いずれも技術を創造の行為と捉えていることであり、
さらに技術は“物を見えるようにする”思想であるといっていることだ。
後者について、三木は「形成」といい、ハイデガーは「露わにする」といっているが、
どちらも「目に見せる」行為である点では同じといってよいだろう。

これらを要約すると、哲学者が考えた技術とは、
T創造的な行為である
U形を露わにする思想である
ことをあらためて発見するだろう。

2.科学と技術との相異
技術あるいは工学と、科学あるいは自然科学とはよく混同して用いられている。
「科学技術」といったように、一つの言葉でいわれる場合も多い。
だが、科学技術という場合はあっても技術科学とひっくり返していう場合は皆無である。
これに象徴されるように、技術あるいは工学が科学に比べると一段低い学問として見られている傾向が読み取れる。
この混同は、技術が科学を応用するもの、あるいは工学が単なる応用科学に過ぎない、との考えに根ざしているからだと考える。
技術者は科学者のアイディアや発見を実施に移しているだけだと思われており、創造性に対する名誉や優位性は科学者のみに与えられるのが一般的な合意と理解である。

つまり、科学と技術においては、科学が上位概念であり、技術者は単なるテクニシャンである、とする誤謬が二十世紀の通念だったように思う。
だが、これは誤りだ。科学と技術との間には基本的な違いがある。
プリンストン大学教授であり構造設計者でもあるビリントン博士は、この点に言及して次のようにいっている。

工学あるいは技術(engineering or technology)はかつて存在しなかったものを造り、
一方、科学はすでに長く存在していたものの発見である。
技術的成果は人々がそれらを造ることを望んでいるという理由によってのみ成立するのに対し、
科学的成果は人々の意向とは無関係に、存在するものを公式化することである。
技術は人工物を、科学は自然を取り扱っているのである。

(D.P.ビリントン著「塔と橋」:鹿島出版会2001年)

そしてこの基本的な違いのため、その他の多くの決定的な差が両者のあいだに生じてくるとし、次のような諸点を指摘している。

(1) 科学は常に知識を統一するための一般理論を導こうとする。
(2) これとは対照的に、技術は常にある型の類型の中で具体的な物を創造する
(3) 自然の出来事は科学的に満足され、究極的には一般理論に関連しなくてはならない
(4) これに対し、技術はユニークでかつその類型に適した特定の理論にのみ関連する

無論、一方で技術は科学的特性を内包しており、技術が生み出す構造物等はそれぞれ自然の法則に従わねばならない。
この意味では技術とて自然界の一部である。
と同時に、科学者が自然現象を説明するのに有用な解析手法は、技術者が人工的創造物の挙動を解析する場合にも有用であることが多い。
実は、手法上のこの類似性こそが、技術は科学の応用である、との誤謬を助長している嫌いがある。
だが、前述の通り、技術は物を形成する。つまり、形態を創案する。
技術者が科学者の発見した公式を用いるのは、彼らの設計をチェックするためだ。
自然法則に従わなければならない点では両者は共通するが、
科学が形態の創造をしないという側面によって明らかなように両者は全く別個であり、上位でも下位でもない。

いみじくも三木清、ハイデガーといった哲学者が展開した「技術が物を形成する力」こそが、ここでは科学と技術の決定的な差異を明確にするのである。
また、一方ではこのようにも言えるのではないだろうか。

つまり、科学は“科”の学問と書き表すほどであるから、自然界の森羅万象を分岐、分化させ、
現実的手法によって可能な範囲の単位まで解析をし尽くす学問である。
この意味で、科学とはスタティックであり、要素還元的であるわけで、<死の原理>に立脚しているともいえる。
それとは対照的に、技術とは“無”の状況から何かを創造し、統合し、
これまでこの世の中にはなかった正体不明の構造物や機械を“露わにあばく”(ハイデガー)わけであり、
ダイナミックな<生の原理>に立脚している、といえよう。

3.技術と技能
科学と技術の関係同様、混同されやすいのが技術と技能である。
技術は客観的であるのに対し、技能は主観的であるものだ。
言い方を換えるなら、技術はシステム的であって言語による伝達が可能であるが、
技能の方は属人的要素が強く言語化が困難であり、その結果合理的な伝承が難しい、ともいえるだろう。

こんにち流行しているナリッジ・マネジメントの用語に従えば、
技術は「形式知」が進んだ領域、技能は「暗黙知」に止まっている領域という言いかたも可能かもしれない。
反面、技術も技能も自然法則性に根拠を置くことでは共通している。この点、科学と技術の類似性とも共通する。
マルキストであり高名な物理学者である武谷三男は、1945年2月に治安維持法により特高警察の取り調べを受けた際、調書の中で次のように述べている。
調書全体は、今日の科学技術が生み出した負の副産物による危機的状況を根本的に解決するためにもたいへん貴重な理論である。
ここでは、技術と技能について語られた部分だけを抜粋してみよう。

従来の技術概念の批判
これまで一般に技術と申しますと何か勘のようなものに考えられていて、技能を技術と混同される事が多く、
とくに日本においてこれがはなはだしかったのであります。
これでは技術の発達の問題は解明されず、そのうえ幼稚な観念論の拠り所となるのであります。

日本技術の欠陥
これは日本の技術者を初め哲学者に至るまで、技術の概念を真に把握していない事によっている、と考えたのであります。
すなわちその多くは、技術概念の重点を技能的要素や、いわゆる「勘」という事に置き、主観的な考え方をしていて、
いわゆる「日本人の器用さ」という事を、技術のように考え、日本的技術といって得意になっていたのであります。
(中略)
形骸主義はその論理的性格において、形式論理であり、それゆえにまた、形骸主義の失敗は形式論理の失敗であり、
これに反して正しい技術は全体を統一的に弁証法的に考える時に成立するのであります。
すなわち技術概念の正しき把握が生産の増強という事の根本的に重要な点なのであります。

技術と技能
技術は客観的なるものであるのに対し、技能は主観的心理的個人的なるものであり、熟練によって獲得されるものであります。
技術はこれに反して客観的であるゆえに、組織的社会的なものであり、知識の形によって個人から個人へと伝承という事が可能なのであります。
すなわち技術は社会の進展に伴い伝承により次第に豊富化されて行く事になります。
(中略)
技能も技術も、自然法則性に根拠がある。ところで、技術は客観的自然的であるのに対し、技能は主観的自然的なものである。
(以上いずれも武谷三男著「罪つくりな科学」:1998年青春出版社)

以上のごとく、技術と技能の混同は“技術概念”の乏しさに帰結することを指摘し、
「技術は客観的自然的であるのに対し、技能は主観的自然的なものである」と明言する。
その上で武谷は、技能と技術の分離、と同時に両者の不可分的結合についても次のように言及している。

たとえば熟練工の養成という時を考えてみる。
武谷によれば、「熟練工になるためには、単に技能や勘を長年月の手先の訓練のみによって得る」だけではなく、
「むしろ同時に知識的な訓練を要する」のであり、これは技能ではなく技術の分野である。
すなわち、熟練のための訓練のやり方を指導理論とする時は、封建的な徒弟式訓練による場合よりも、
ずっと短時日の間にはるかに優秀な熟練工が養成できるはずだ。
模倣ではなく指導、無意識的ではなく知識的、放任ではなく計画的な訓練は、技術と呼ぶに十分値する。
ならば技能は不用かというとそうではない。

「一定の技術には一定の技能が必然的に存在」するからこそ、技術がモノを形成する力を持つのだ。
しかし、技術の立場とは、主観的で個人的な技能を客観的・組織的・社会的な技術に止揚していくことにあり、
しかも新たな技術の構築は新たな技能の必然性を要求するものなのだ。
技能の技術化によって、モノを形成する力としての技術の効率性は一段と増進し、しかも形成するモノの質もまた向上する。
技術と技能のこうした明確な相異がはっきりしてくると、技術者が自分の技術の体系化を推し進めないうちは、
熟練工としての技能に止まっておらざるを得ない、といえるのではないか。
いやしくも自分を技術者であろうと心がける者、まして「技術家」を目指して研鑚を積もうとする者であるならば、
技術を技能のレベルに止めておくことは許されざる怠惰だといえよう。

断っておくが、私は技能を下位に、技術を上位に対置したモノの考えかたをしているのではない。
科学と技術の相異を明らかにしたのと同じ手法によって、技術と技能の違いも明確にしておきたいだけだ。

技術が、武谷のいうとおり「自然法則に準拠した客観性」を現出するものであるならば、他人に伝達できなかったり、
次世代に継承することが不可能であったり、まして形式知に化することができないものだったりすれば、それは技術ということができない。
にもかかわらず、属人的技能を頑なに守ろうとする技術者(?)が依然として多く存在する。
また、そういう輩に限って狭い領域の属人的技能を自慢する。こういう輩は決して自らの習得した小さな成果を開放しないものなのだ。
こういう人たちが、技術者ヅラすることは断固として拒否すべきである。
逆に技能の分野で優れた人たちが、本来属人的要素(主観的)が強い技能を、豊富な体験や直観に拠りながら、
しかも自発的なマネジメント手法を用いて、普遍的レベルにまで引き上げ、伝達可能なシステムに昇華するというケースも稀ではあるが存在する。
それは例えば、宮大工の世界であったり、伝統工芸の世界であったりする。
このような移行は、当然技術と呼ぶべきであり、彼らの努力に対しては十分な敬意を払う必要がある。
なぜなら、技術の立場の成長とは、個人的な技能に客観性を帯びさせる努力によって常に裏打ちされてきたからだ。

これは、構造物においても機械においても変わらない。
橋の設計で一例を曳いてみよう。鉄の時代の設計的パイオニアであったトーマス・テルフォード(Thomas Telford;)がその人だ。
テルフォードは1757年スコットランド地方グレンディニングに生まれた。彼は石工であった。
1787年には大きな活路を求めてロンドンの設計事務所に入ったが、図工だった。
つまり、彼はまったく技術者ではなかった。技能者だった。
テルフォードには土木工学の素養も、構造力学の学問もなかった。科学はテルフォードにほとんど影響を与えなかった。
テルフォードの設計には何の役割も果たさなかったのである。さらにテルフォードは今日でいう構造力学の諸公式を設計に用いることもなかった。
ひたすらおびただしい量の実験を繰り返し、供用下での構造物の挙動を注意深く観察した。
彼の属人的技能であったはずの実験と観察に基づいた設計理論は、まったく数学を用いなかったにもかかわらず、
後世「ボナー型アーチ橋」と呼ばれることになる鋳鉄アーチ橋の形態を見事に開花させたのである。
現存する彼の最古の橋は、1814年に完成したクレーグラチー橋であり、今もスコットランドのスプレイ川にその優美な姿をとどめている。

ボナー型アーチ橋の歴史が証明したように、“技能の技術化”は施工性を向上させたばかりでなく、
経済性や効率性を著しく改善し、品質の安定まで生んだ。さらには後世のアーチ形に多大な影響を与える形態の優美さをも確保するようになった。

4.新たなる技術概念
これまで述べたように、技術とは人間が客観的法則性の立場に基づいて行う実践である。
ここで気を付けたいことは、客観的法則性そのものが技術なのではなく、その人間における適用が技術であるということだ。
人間における法則性の適用とは、換言すれば学習ということでもある。
技術は、それが何であれ、あらかじめ目的とされた変化を、活動の対象に対して生起する。
この点、学習が新たな知識の応用を可能にし、これを通じて新たな事象を解明したり、
新事実を発見したり、新規性の高いモノを生み出す活動であることと軌を一にする。

だから、技術的実践が人間における法則性の適用である限り、それは計画的であり、目的意識的でなければならない。
すなわち、技術の本質的規定とは武谷が前掲の調書の中で述べているように、
「人間実践(生産的実践)における客観的法則性の意識的適用」であるといえよう。
新たなる技術概念が上のように規定できるならば、そこにおいては技術を背負っている“技術家”というものも具体的な人間性を帯びた形でイメージが湧くだろう。
また、技術の中心的存在である“設計”という概念についても「種々の計算をする行為の形」ではなく、
あくまでも「技術家における客観的法則性の意識的あるいは合目的的な運用の発露」でなければならないことがわかってくるではないか。

もう一度いうが、技術は人間と離れてどこか別のところにつくりあげられた抽象概念ではない。
それどころか、人間における実践と不即不離の関係にある概念なのである。
客観的法則が人間において意識的に運用されてこそ、技術となる。
逆に言うと、技術家の技術家たる所以は、客観的法則をその人間性とあいまって意識的に適用するところにある。
この意味で、貧困な人間観や歴史観あるいは世界観・宇宙観しかもたない人間には、
技術を駆使することは許されないし、まして技術家を志向することなど断じて不可能だといえよう。






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